自分の人生に少しだけ花を添える

私達は将来のためだけに行動すると後悔する。 今を台無しにしているように感じるから。

将来の目標を掲げることがある。 大事なものでそれに向かって努力する姿は美しい。 でも悲しいけど全部が実ったりはしない。

私達の目標には建て方があるように思う。 そう成らなくてもいいものでいいんじゃないだろうか。 そう成らなくていいものではないのでそこは注意したい。

私達は結果を目指しても、そう成るか分からない世の中にいる。 成らないとき、私達は絶望する。 今までの努力が成らないことに心がポッキリ折れる。 自分の人生が無意味なものに感じられる。 空っぽで虚ろで最早どうにもならないもののように感じる。

絶望が私達を襲うことを止めることはできない。 けれど量を減らすことはできる。

私達はおおよそ今を充実させるほうがいい。 ここで提案するのは、成ることより今の楽しさが上回るようなやり方にしてみたらどうだろうか。 成ることを諦めろってわけじゃないよ。

例えば、歌を歌うことで人気者になる姿を目指してもいいと思う。 そこに今歌うことが楽しくなる要素を入れればいい。 それを目指せばおおよそ目的に行き着くようなものを持ってみればいいと思う。

自分が歌うなかで、きれいに聞こえるように歌ってみるとか。 そうすれば、音程が外れたならどこが外れたか自然と気になる。 そうすれば、声がでないなら上手く出すにはどうすればいいか気になる。 今の自分はその楽しさを追い求めるだけでいい。 そうすればおおよそたどり着くことができるから。

もしくは他に意味をくっつけておくといいのかもしれない。 そうすれば、それができなくても他としての成るは成立するから。 全部は難しくても幾つかはできるはず。

どんなに避けたくても、どんなに考えても絶望する可能性がゼロになるってわけじゃない。 それでもこうやって楽しさを用意しておけば、成らなくてもまぁいっかって切り替えやすいんじゃないかな。

私達はどこかで成らなければいけない。 そうしなければ全て無意味だって思いやすい環境にいる。

でもそれが成らなかったとしても、それはあなたの無意味の証明じゃない。 周りの人は、あなたの人生は無価値だったと言うかもしれない。 でもあなたの人生は他人が評価するものじゃない。 あなたが、あなたの人生を無価値だったと言うかもしれない。 でもあなたが心のままに笑って泣いて日々を過ごしてくれれば、それだけで私は嬉しい。 あなたの人生には確かに価値があったし、私はそう認める。 一緒にいてくれたら嬉しいし、会話がなくてもきっと穏やかな気持ちになれる、そんな人だと私は思う。

長く書いたから、まとめておく。 失敗なんて誰にでもある。 凄い人もみんな失敗したし、私や周りの人もいっぱい失敗した。 そうなるのはとっても当たり前のことだと思う。

だからそうなっても後悔しないように準備するといいんじゃないかな。 目的だけを目指すんじゃなくて、その過程も楽しめるようにしておくといいと思う。

もしあなたが何かできなかったとしても、それはあなたの意味を決めたりしない。

それでも私達は思い込みやすい生き物だったりするから。 こうやって準備しておくことは、自分の人生に多少なりとも花を添えることになるんじゃないかな。