信頼とかけまして、ギャンブルとときます。

その心は?

 どちらもリスクがあるでしょう。

ポイント

 信頼は、リスクを受け入れることです。

 一方で、リスクを受け入れることができないとき、信頼しない(相手に預けない・任せない)選択肢もあります。

信頼を考える

 重要なのは、信頼したときの嫌な結果を特定することです。

 嫌な結果を避けることができれば、それでいいですよね。では私達にとっての嫌な結果ってなんでしょう?

 私の場合、大きく2つの嫌な結果があります。信頼して任せたのに失敗されること、信頼していたのに嘘をつかれる(欺かれる)こと。

 しかし人は間違うし、失敗することもあります。相手の行動はコントロールできません。どうすればいいでしょうか?

回避を考える

 信頼して任せたのに失敗されたとき、どうすればいいでしょうか?

 任せる前は、失敗の検証をしておくといいですね。また、任せた後はできなかった用のリカバリープランがあるといいです。

 それでもダメなら、私達は受け入れるしかありません。怒ったり、悲しむこともありますが、最後には受け入れることになります。

 ここで重要なのは、検証しても相手が失敗するかどうかは正確にわからないことです。つまり事前の対策はほどほどがいいです。事後に重点をおくと良さそうです。

 信頼していて嘘をつかれたときもだいたい同じです。嘘をつかれるかはわかりません。こちらは事前の検証は難しいです。嘘をつかれたあとにできることは限られますが、やれることはあります。あなたがダメだと思うなら、あなたはその人との関係をやめてもいいし、維持してもいいです。

考え方の提案

 ここで提案です。

 信頼を、リスクを受け入れることと捉えてみてはいかがでしょうか?

 そうすると、見通しがよくなります。リスクが受け入れることができるなら、あなたは信頼して任せればいいです。受け入れられないなら、検証したり対策をとるといいですね。どうしてもイヤなら、任せない選択もありです。

 例えば、あなたは嘘が大嫌いだとしましょう。しかし相手が嘘をつかないという証拠はありません。このままでは信頼するのが難しいです。あなたは私を傷つける嘘は嫌だとラインを決めるかもしれません。その嘘をつかれたとき、素直に嫌だったと白状するスタンスをとるかもしれません。そこまで受け入れます。

 でもそれでダメだったら、あなたは相手の下を去るかもしれませんね。

まとめ

 信頼は、リスクを受け入れることと捉える提案でした。

 私達は、色々ことで傷つきます。そのとき信頼という言葉が枷になるときがあります。別の角度から質問すると、見通しがよくなります。つまり、「そのリスクを受け入れるか?」です。

 私達は人を一度信頼すると、疑いをもってはいけない気持ちになります。でもそれっておかしいよなーと思い書いてみました。もちろん疑いすぎもよくないんですが、適量ならいいんじゃないかと思います。

 信用・信頼は、信じて用いる・信じて頼るではないです。何かの結果を用いて信じるし、ただ頼りとして信じるんだと思います。

 信じたあと、相手に預けたり任せたり見切りをつけるのはあなたが決めていいことだと思います。